じっと手を見る

「もう、どれ程の時間が経ったのだろう、既に見当もつかない。」
弱々しく差し出した右手がサラサラと砂のように先から零れ落ちていった。どうやらこの体も限界のようだ。

私がこの世界に生まれ、最初の5年間は幸せに満ち溢れていた。温かな両親に恵まれ、小さいながらも様々な香のハーブで満ちた庭がついた煙突がチャーミングな家、お守り代わりに遊んでくれた飼い犬、私はそれら全てに囲まれていた。

生まれ育ったのは決して栄えてはいない村だったが、街道沿い故に交易を行う商人の足は途絶えなかった。押さないながらに、彼らから見せてもらた古今東西の魅力的な商品に心を奪われたものだ。一度見せてもらった煌びやかなルビーとアクセントにしたサテン生地のスカーフは今も忘れられない。

私が5歳になった時、大きな戦が起こり、強国同士の争いに巻き込まれた小国の母国は戦場の一つにされた。戦の知らせはそれを予期させる不穏な気配も漏らさず、突風のように吹き付け、小さな国を震撼させた。鳥の目で世界を見渡し、猫の耳であらゆる話を聞きつけ、犬の鼻で不穏を察知する交易商人達が村を訪れる事はパタリ止み、代わりに略奪された村から逃げ出し、放浪する難民達から侵略者達の凶暴さを聞かされる日々が始まった。小さな国の小さな村はそれまでの団結を失い、混乱に陥った。ある者はすぐに逃げ出そう!と言い、また別の者は我々は中立故に動く必要が無いと言い、はたまた移動するには金がなくてはならないので、来月の収穫まで待とうと言う者も居た。村長だった祖父は村民をまとめ様と持ち前の温和な性格で荒れ狂う海に浮く小さな小船の櫂をこいだが、既に四方の村々で略奪は行われており、今となっては森を移動するのは無理だと父にだけ耳打ちした。

戦争が始まったいう知らせが届いて2週間、遂に隣村が襲われた。次はいよいよこの村の番という事は火を見るより明らかだった。もはや一刻の猶予も無く「決断」しなければいけない。使者を出してこの村が中立である事を示しても生き残るのは不可能だ。我々は自身を奴隷として捧げるか、戦うか、この村を放棄して人の皮を被った獣達が闊歩する中を掻い潜って逃げ出すかを選ばなければならなかった。

私達は、結局、村を捨てた。奴隷になるという事は、男は兵として使われ、女子供は慰み者とされるかだけで、そんな事は到底受け入れられなかった。だから、それしか道が無かった。

程なくして、案の定というべきか、私達は襲われる。日頃の農作業で逞しいとはいえ、人を殺す事に慣れていない男たちは次々となぎ倒されていき、女達は自害するか、それに躊躇した者は次々と犯されていった。私の父は戦って死に、それを見届けた瞬間に母は自分の胸にナイフを突き刺した。私は、その様子を押し込められたカバンの中から目を閉ざす事も出来ずに小さな穴から覗いていた。

茫然自失となった私は、幸か不幸か略奪者から見つけ出されずに生き延びた。それから丸一日両親の前で泣く事も出来ずに立ち竦んで居たが、両親から「何かがあったら一人でも東へ行け」という言葉を胸に歩き出した。実際は、頼るものがそれしか無かっただけだったけど。